ちあきなおみに一点の曇りなき喝采を

スタッフの水野です。

今回はちあきなおみの喝采という曲について書こうと思います。

ちあき なおみ(本名:瀬川 三恵子、1947年9月17日 – )は、日本の元歌手、女優。
1992年に夫の郷鍈治との死別をきっかけに一切の芸能活動を休止し、引退同様の状態となった。
結婚後に所有した不動産(ビル)のオーナーではあるものの、実業家として表立って活動しているわけではない。
義兄(郷の実兄)に俳優の宍戸錠。

実のところ、僕は彼女のことはよく知りません。
彼女は1992年の夫(郷鍈治)との死別以来、事実上引退しており、
僕が物心ついた頃には当然メディアに登場することはありませんでした。
ただこの曲はどこで聞いたのか知っていまして、それと同時に名曲なんだな、とも思っていました。

歌いだしの「いつものように幕が開き」という言葉が僕はすごく良いと思いました。
本当に幕が開く映像が絵に浮かびます。
「いつものように」といっているのですから、彼女はいつも恋の歌を歌っているのです。
しかし、いつも思っているのは、捨ててきてしまった恋人のことです。
そしてある日、突然その人が亡くなったという知らせが入る。
その「いつも」じゃない時にも「いつものように幕が開く」という言葉が何だか無情で、悲しく、涙を誘うのです。

実はこの歌詞は当初、人の死について歌うことなど縁起が悪い、とレコード会社から猛反発を受け、改変を求められていたのですが、作詞家の吉田旺は「いや、ここが核だから」と貫き通したらしいです。
その歌詞をちあきなおみに持っていくと彼女は「歌いたくない」と言います。
実は彼女には、デビュー前から兄の様に慕っていた若手役者が岡山県鴨方町(現浅口市)に住んでいて亡くなったというその歌詞と似た体験をしており、その辛い過去を思い出してしまったからです。
しかし、そのエピソードは後に『私小説歌謡』という宣伝文句にされてしまいました。
そのことも何だか悲しく感じられ、この曲をより一層パセティックなものにします。

改めてこの曲を聞きなおすと、イントロのギターも印象的です。
悲しみの雨が降っているような音なのです。
また、Aメロからサビに変わる時、ドラムが一小節分空きます(ブレイクします)。
そして高音のタムから低音のタムへと崩れ落ちるようなフィルを入れてサビに入ります。
バックのストリングス(バイオリンとかの弦楽器)が煽るのは勿論ですが、
何よりこの崩れ落ちるようなフィルが盛り上げてくれるのです。
どれほど計算されて作られたのかは分かりませんが、このフィルが最高なのです。

それとサビのバックに突然現れるアコースティックギターも味を出しています。
二番の方が激しく弾いているように聞こえ、その高まる悲しみが強調されます。
そして最高潮に演奏が盛り上がり、悲しみも最高潮という時に、急にクールダウンされ、
「いつものように」に戻るのです。
とにかくこの「いつものように」が強烈なのです。
それがこの曲の表す悲しみの全てだとも思えます。

彼女は夫との死別を機に、一切の芸能活動を休止します。
そのことを知ると、より一層切なく響きます。

この喝采というタイトルはどのような理由で付けられたのかは分かりませんが、
僕は、この曲を聞いた自分自身が彼女に送りたくなるような言葉だと思いました。

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