GOROでアイドルの歴史を振返る5“1979年” 山口百恵の水着ピンナップ
1974年、小学館から創刊されたGOROの表紙、グラビアから昭和アイドルの歴史を振返っています。
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GOROの歴史を振返る1 1974年創刊から篠山紀信の表紙になるまで
1979年のGORO1号は竹下景子表紙から
1979年のGORO1号の表紙を飾ったのはお嬢様女優として人気だった竹下景子でした。
お嫁さんにしたい女性ナンバー1とも言われてましたね。
今で言う癒し系というところでしょうか。
竹下景子は星瞬堂の地元、名古屋市緑区で幼少期を過ごしたということで、地元では数々の竹下景子美少女伝説を耳にしたものです。
NHK名古屋制作の「中学生群像(後の中学生日記)」に出演してスカウトされたということも、名古屋人としては親近感を感じます。
2号では二十歳になった山口百恵が表紙
綴込みピンナップでは山口百恵の水着が登場しています。
当時は表紙のアイドルが、綴込みピンナップになっているということがほとんど。
その後、表紙とグラビア、綴込みピンナップは別のアイドルにして、たくさんのファンに買ってもらうという手法が各雑誌で取られるようになりましたが、まだこの頃は山口百恵表紙ならば、中も山口百恵でした。
1979年といえば、
1月13日に初めての国公立大学共通一次試験(センター試験)が実施され、3月には徳光和夫司会の日本テレビネットワークの朝番組「ズームイン」が開始。6月にはソニーがウォークマンを発売されました。
プロ野球では、山本浩二、衣笠祥雄が活躍した広島東洋カープが初の日本一。江夏豊の21球は今でも野球ファンの語りぐさです。
生活が着々と変化を遂げていたこの時期、漠然と将来に不安を感じていた若者も多かったことでしょう。
歌謡界ではピンクレディーの勢いが明らかに弱まり、演歌界から八代亜紀「舟歌」や小林幸子「おもいで酒」などのヒット曲が出ています。
GOROのグラビアでも、ほんの少し前まで天真爛漫さで私たちを魅了していたアイドルたちが、急に大人びて緊張させられたものです。
13歳でデビューした浅野ゆう子もこの頃は19歳になっています。
水沢アキも女豹のポーズ、誘惑の眼差しで、グラビアを輝かせてくれていました。
キリンレモンの中島はるみ
さて、そんな時代でも、爽やかなアイドルというのは誕生するもので、その代表的とも言えるのが中島はるみではないでしょうか。
17号の表紙を飾っています。
当時、中島はるみというタレントは二人いて、一人はこの中島はるみ、もう一人はもっと大人っぽいGメン75に出演していた女優です。
ですので、もう一人をGメンの中島はるみ、こちらを出演していたCMでキリンレモンの中島はるみと区別していた人も多かったと思われます。
まさに夏の炭酸水が似合うアイドルでした。
一億人の妹 大場久美子
アイドルというのは恋しい存在。自分の彼女だったらいいのになぁと夢想するものでしたが、自分の妹だったらいいのになぁという新しいコンセプトで登場したアイドルが大場久美子です。
1977年にデビューした時のキャッチフレーズは「一億人の妹」でした。
1978年、ドラマ「コメットさん」でスターとなり、1979年には「スプリングサンバ」というヒット曲(オリコン最高位44位)を出しましたが、9月には歌手を引退する引退コンサートを行い、やめる理由を「音痴だから」と自ら発言。物議をかもしました。
GOROには引退コンサートで話題となっていた9月13日18号で表紙を飾っています。
22号では、早くもこんなグラビアを披露。
妹が大人に変貌しつつあるのを一億人のお兄ちゃんたちに知らしめました。
1979年のGORO最後の号の表紙は藤谷美和子
「百円でカルビーポテトチップスは買えますが、カルビーポテトチップスで百円は買えません。あしからず」という不思議なコマーシャルで人気となり、
その後、ゆうひが丘の総理大臣など学園ドラマの生徒役には欠かせない存在となっていました。
クラスにいるだけで、教室が楽しくなりそうな雰囲気がありましたよね。
その後、元祖プッツン女優としても話題となりました。
当時のGOROで人気のシリーズでは、篠山紀信が無名の女性のヌードグラビアを撮るというシリーズがありました。
とびきりかわいいわけでもキレイなわけでもない。
しかし、等身大の女性のエロスがそこにはあり、人気でした。
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GOROでアイドルの歴史を振返る6
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