アグネス・ラムがグラビアを独占!1976年の週刊プレイボーイ高価買取中

1966年、集英社から創刊された週刊プレイボーイは1976年10年を超え、10代のアイドルの登場率が高くなってきます。

そして、1976年は黒船襲来の年でもありました。

1号は小柳ルミ子表紙からスタート

1976年1号の週刊プレイボーイは小柳ルミ子が表紙。
1971年にデビューした当初はアイドルという扱いでしたが、この頃には実力派歌手として認めれていました。
紅白歌合戦には18年連続で選ばれています。

小柳ルミ子 週刊プレイボーイ1976年

2号カレンダーにキャンディーズ登場

2号の口絵の付録はピンナップタイプのカレンダー。
この1月はキャンディーズでした。
2月以降は長谷直美、エルザ、片平なぎさ、純アリス、五月みどり、手塚さとみ、ハニー・レイヌ、田坂都、三東ルシア、中島ゆたか、風間千代子。
どういう基準で選ばれたのか不明ですね。

この頃のキャンディーズはよく水着になっていますね。

キャンディーズ 週刊プレイボーイ1976年

4号の風吹ジュンの水着グラビアはグッと来るっ!

1973年、ユニチカマスコットガールの初代に選ばれた風吹ジュンは、1974年に歌手デビュー。
しかし、その後すぐに暴力団も巻き込んだ事務所移転騒ぎ。偽りの多いプロフィール。男性遍歴などなど。
清純派のイメージは崩れ去ります。

この4号ではそんな風吹ジュンをグラビアに登場させたということになります。
1975年は「寺内貫太郎一家」などのドラマに出演。人気も再び盛り返します。
しかし、翌年、またトラブルを起こすのですが、それはまた別の機会に。

風吹ジュン 週刊プレイボーイ1976年

この頃の週刊プレイボーイは戦略なのか、グラビアに登場したアイドルが翌週の表紙になるというパターンが多かったようです。
グラビアで気に入ったファンが、翌週も買ってくれるだろうという狙いだったのでしょうか。
写真撮影も一度でいいという考えもあったかもしれません。

5号の表紙に風吹ジュンはなっています。

風吹ジュン表紙 週刊プレイボーイ

この号ではプロゴルファー、ローラボーがグラビアに登場しています。

ローラボー 週刊プレイボーイ1976年

黒船襲来 グラビアアイドル第一号 アグネス・ラム

さて1976年、一人のハワイに住む女性が日本のグラビア界に旋風を巻き起こします。
彼女こそが、日本での初めてのグラビアアイドルと言われたアグネス・ラムです。

星瞬堂の調べでは、週刊プレイボーイには1975年45号に「最新CMむすめ名鑑」という白黒の企画に掲載。
1976年になると、7号で6ページ、14号は表紙、19号では綴込みピンナップと7ページ、23号では表紙と綴込みピンナップとグラビア8ページ、28号では5ページ、31号では9ページ、32号は表紙と綴込みピンナップとグラビア6ページ、34号は綴込みピンナップと5ページ、37号では私生活をグラビアで紹介、40号でもグラビア、47号では表紙とグラビア5ページという異常とも思える活躍でした。

折角なので、星瞬堂が所有する週刊プレイボーイ1976年のアグネス・ラムのグラビアをあるだけ紹介いたしましょう。

アグネスラム 週刊プレイボーイ1976年

アグネス・ラム 週刊プレイボーイ1976年

アグネス・ラム 週刊プレイボーイ1976年

アグネス・ラム 週刊プレイボーイ1976年

アグネス・ラム 週刊プレイボーイ1976年

アグネス・ラム 週刊プレイボーイ1976年

アグネス・ラム 週刊プレイボーイ1976年

アグネス・ラム 週刊プレイボーイ1976年

アグネス・ラム 週刊プレイボーイ1976年

アグネス・ラム 週刊プレイボーイ1976年

アグネス・ラム 週刊プレイボーイ1976年

アグネス・ラム 週刊プレイボーイ1976年

アグネス・ラム 週刊プレイボーイ1976年

すげー黒船が1976年の日本には襲来したんだということがよくわかっていただけたかと思います。

その後、人気のアイドルをグラビアに登場させることで、発行部数が伸びるということを証明。出版社に教えたのがアグネス・ラムだったのがアグネス・ラムだったのかもしれませんね。

1976年24号の週刊プレイボーイでは演歌歌手八代亜紀が表紙

週刊プレイボーイの表紙はアイドルのもの。
そう思い込んで古い週刊プレイボーイを見ていくと、驚くことがあります。
例えば、この1976年24号。
表紙は八代亜紀。

1973年にリリースした「なみだ恋」をはじめ、この頃では若手の女性演歌歌手として地位を確立しています。
ちなみに、1972年32号の週刊プレイボーイでは都はるみが表紙を飾っています。

八代亜紀 週刊プレイボーイ1976年

33号は岩崎宏美が表紙、浅野ゆう子が水着グラビア

1975年に「二重唱(デュエット)」でデビューした岩崎宏美が1976年33号で表紙。
岩崎宏美も、森昌子、桜田淳子、山口百恵、片平なぎさと同じく「スター誕生」の出身。
この時代の「スター誕生」の勢いがわかるというものです。

グラビアには浅野ゆう子の水着姿が掲載。
浅野ゆう子は芸能史において、非常にユニークな存在です。

アイドル歌手としてデビュー後、グラビアを中心に活躍。
その後、抜群のプロポーションを生かしてモデルとして人気になります。
1980年代後半はトレンディドラマ女優。
年を取ってからは大物女優としてのポジションを獲得しています。

年代は違いますが、篠原涼子を思い出します。
篠原涼子は、東京パフォーマンスドールというアイドルグループの一員として芸能界入り。
ダウンタウンのごっつええ感じのレギュラーとして、数々のコントに出演。
その後すぐに小室哲哉プロデュースによる「愛しさと切なさと心強さと」がビッグヒット。
しばらくはバラエティタレントといったポジションでしたが、ドラマに出演しだすと、主役に抜擢。
今や大女優です。

歌もうまいですね。

話がそれました。浅野ゆう子のまだ十代のプロポーションをご覧ください。

浅野ゆう子 週刊プレイボーイ1976年

岩崎宏美 週刊プレイボーイ1976年

1976年、ピンクレディーデビュー!

アグネス・ラム旋風の一年だった1976年のグラビア界ですが、最後にどうしてもご紹介したいグラビアがあります。
それが1976年最後の号、51号の綴込みピンナップとグラビア3ページを飾ったピンクレディーです。

ピンクレディーは1976年8月「ペッパー警部」でデビュー。
11月25日二曲目となる「SOS」をリリース。
このグラビアは「SOS」を歌っていた頃のものということになります。

ピンクレディー 週刊プレイボーイ1976年

翌年、ピンクレディー旋風が巻き起きていくのは、みなさん、ご存知の通りでしょう。

次の記事はこちらです。
週刊プレイボーイで昭和アイドルを振り返る11 1977年

星瞬堂が送る「週刊プレイボーイで昭和アイドルを振返る」記事一覧

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