夏目雅子が鮮烈デビュー!小林幸子お宝水着有!1977年の週刊プレイボーイ高価買取中

週刊プレイボーイは1966年の創刊から10年を超え、グラビアは日本のアイドル一色となっています。
1976年にはアグネス・ラムというグラビアアイドル第一号も誕生。
雑誌におけるグラビアの新たな需要を見つけ出し、ますますグラビアも充実していきます。

1977年の週刊プレイボーイは秋吉久美子表紙から

1974年公開の映画「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」などの映画主演で人気となった秋吉久美子が週刊プレイボーイ1977年1号の表紙です。
秋吉久美子は関根恵子、由美かおる同様、脱ぐのを辞さないアイドル女優。
1960年代の青春スターの香りがまだ残っている感じがします。

秋吉久美子 週刊プレイボーイ1977年

この1号では、1976年、グラビア界に大旋風を巻き起こしたアグネス・ラムが登場。
美人プロゴルファーとして人気だったローラ・ボーも掲載されています。

1960年代に登場する外国人は、米国PLAYBOYから転載のプレイメイトだったり、権利を買ったと思われるブリジッド・バルドーなど世界的に人気の女優だったりしましたが、この時代になっては、日本の読者が欲しがっている、独自撮影の外国人女性が登場ということになってきたということになるでしょう。

ちなみに初期の週刊プレイボーイのセンターを飾り続けきたプレイメイトは、1975年に創刊された月刊PLAYBOYに移行したようで、週刊プレイボーイからは姿を消しました。

ローラ・ボー アグネス・ラム 週刊プレイボーイ1977年

2号では山口百恵が表紙

週刊プレイボーイ1977年2号の表紙を飾ったのは山口百恵です。

山口百恵 週刊プレイボーイ1977年

1976年6月21日にリリースした「横須賀ストーリー」が大ヒット。
この楽曲は、作詞阿木燿子、作曲宇崎竜童の夫婦による、はじめての山口百恵への提供のシングルで、その後、宇崎竜童、阿木燿子夫婦が提供する山口百恵の歌は、都会でたくましく切なく生きる女性像をを作り上げていきます。
1977年の山口百恵は4曲の新曲をリリース。
1月「初恋草紙」、4月「夢先案内人」、7月「イミテイション・ゴールド」の3曲は宇崎竜童・阿木燿子夫婦によるもの、11月リリースの「秋桜」はさだまさしによるものでした。

3.4合併号は仁科明子表紙 小林千登勢がグラビアに登場

仁科明子は父が歌舞伎俳優、母と姉も女優という芸能一家の生まれ。
1970年代前半に清純派アイドルとして活躍しました。
1977年、この週刊プレイボーイが発売された年、松方弘樹との不倫が発覚。芸能界を休止しています。

仁科明子 週刊プレイボーイ1977年

この3.4合併号では、実力派女優小林千登勢のヌードが掲載。
お宝となっています。
これは後にオシドリ夫婦として評判となる山本耕一との結婚、長女出産後ということになりますね。
熟女ヌードの走りかもしれません。

小林千登勢 週刊プレイボーイ1977年

1977年の週刊プレイボーイの綴込みピンナップを飾ったアイドルたち 山口百恵 由美かおる 夏目雅子他

1977年の週刊プレイボーイでは表紙をめくったところにある綴込みピンナップが標準になり、1977年当時人気だったアイドルたちがセクシーなポーズで飾ってくれていました。

岩崎宏美も水着。
岩崎宏美水着 週刊プレイボーイ1977年

夏目雅子。
夏目雅子 週刊プレイボーイ1977年

由美かおるはヌード。
由美かおる 週刊プレイボーイ1977年

あべ静江はワンピース姿ですが、色っぽい。
あべ静江 週刊プレイボーイ1977年

村地弘美はネグリジェのような軽装。
村地弘美 週刊プレイボーイ1977年

太田裕美はチャイナドレス。
太田裕美 週刊プレイボーイ1977年

山口百恵は二の腕全開。
横から胸がはみだしそう。
山口百恵 週刊プレイボーイ1977年

ローラ・ボーは水着です。
ローラ・ボー 週刊プレイボーイ1977年

1977年の夏 夏目雅子のコマーシャルが話題に

1977年夏、カネボウ化粧品のコマーシャル「クッキーフェイス」で、健康的な女性が登場、人気となりました。
夏目雅子です。
このコマーシャルのディレクターは、夏目雅子と結婚して最後を見届けた直木賞作家の伊集院静だったそうです。

翌年1978年には、「西遊記」の三蔵法師役などに出演。
女優としての名声を得ていきます。

週刊プレイボーイには76年38号に小達雅子として、この秋の注目として登場。
1977年の18号では、グラビア4ページを飾っています。

夏目雅子 週刊プレイボーイ1977年

1977年の週刊プレイボーイには小林幸子も登場

1977年の週刊プレイボーイでは、小林幸子が表紙、グラビアを飾っている号があります。

21号では水着グラビア5ページ。
29号では表紙。
38号ではシースールヌード5ページです。

小林幸子は天才少女としてデビューを飾りましたが、その後、低迷。
芸名や事務所をいくつか変え、再起を狙っていたものの、なかなか花が開かった時期が長かった演歌歌手です。
「おもいで酒」が大ヒットした1979年当時によく言われいてたのは“苦節15年”。
この週刊プレイボーイの表紙、グラビアも苦節の内だったということになるのでしょうか。
今となっては、かなりのお宝です。

小林幸子 週刊プレイボーイ1977年

小林幸子 週刊プレイボーイ1977年

オープンカーの上でビキニで大股開きをするさっちゃん。
頑張ってました。

小林幸子 週刊プレイボーイ1977年

ホリプロスカウトキャラバン優勝第一号 榊原郁恵がバンバン!

1971年にはじまった日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」はその名の通り、数々のスターを誕生させていきました。
決勝大会では、気に入った参加者を、スカウトしたいプロダクションがプラカードをあげるスタイル。

ホリプロダクションは、これによって森昌子、山口百恵、片平なぎさなどを獲得していましたが、他のプロダクションに取られることも多く、ホリプロダクションの名前をもっと知らしめたいということもあって、全国から新しいアイドルを発掘するホリプロスカウトキャラバンを1976年に開始しました。

第一回優勝者は、榊原郁恵。

1977年1月1日に「私の先生」でデビューしました。
とにかく天真爛漫という感じで、箸が転んでもおかしいというのは榊原郁恵のようなことだと思ったものです。
榊原郁恵は水着姿でも人気でした。
今までにはないタイプのかなりぽっちゃりめのスタイルは、その後、樽ドルと呼ばれるくびれのない体系の第一号とも言われています。
2000年になって言われるようになった癒し系体系の最初だったとも言えるかもしれませんね。

週刊プレイボーイ1977年で大きく取り上げられたのは30号。
水着姿の綴込みピンナップとグラビアが4ページありました。

榊原郁恵 週刊プレイボーイ1977年

43号でも水着姿がグラビアを飾っています。

榊原郁恵 週刊プレイボーイ1977年

次の記事はこちらです。
週刊プレイボーイで昭和アイドルを振り返る12 1978年

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