先日、森昌子さんのコレクションを一括買取させて頂きました。
その中でも貴重なものが多かったシングル、当時の言い方ですとEPレコードでしょうか、の告知ポスターを今回はご紹介します。
なみだの桟橋
23枚めの「なみだの桟橋」で。
1977年8月1日に発売。市川昭介作曲の名曲ですね。
夕子の四季
作詞は阿久悠。
森昌子さんは阿久悠作詞のイメージはあまりありませんが、初期の作品にはいくつか阿久悠作詞のものがあります。
しかし、1979年1月21日にリリースされたこの「夕子の四季」が最後の作品になっています。
作曲は出門英。
ヒデとロザンナのヒデですね。
ためいき橋
1979年10月21日リリース。
この頃の歌手は皆さんそうだったのかもしれませんが、森昌子さんは3ヶ月から4ヶ月ごとにシングルをリリースしているんですね。
ためいき橋のキャッチフレーズは「21歳の秋・・・いま、新たなる出発」です。
ためいき橋は2種類のポスターがありました。
信濃路梓川
1980年発売の遠藤実作詞の名曲です。
こうやって見ていくと森昌子さんのポーズには肩あたりに手を置いているものが多いですね。
北寒港
1981年1月21日発売。
森昌子さんにとって盟友山口百恵さんが結婚、引退をしてしばらくしてから発売になったものですね。
森昌子さんの曲には他にも「北風の朝」など『北』がつくものがあります。
哀しみ本線日本海
このタイトルは抜群ですね。
何より言葉の語呂がよく、口にしたくなります。
1981年7月10日リリース。
この曲で1981年の紅白歌合戦は出場。
森昌子自身初のトリをつとめています。
鷗唄
1982年3月21日リリース。
森昌子さんのシングルのリリース日を見ていくと、ほとんどが5日か21日。
当時のチャートなどの影響でリリース日は決まっていたのでしょうか。
作曲は小林亜星です。
立待岬
1982年8月10日発売。
立待岬はこの年の古賀政男記念音楽大賞の大賞受賞曲。
紅白歌合戦でも歌われましたね。
ふるさと日和
1983年4月5日発売。
作曲は森田公一ですね。
越冬つばめ
1983年8月21日発売。
森昌子さんを代表する曲のひとつですね。
作曲は篠原義彦となっていますが、1978年に「夢想花」でデビュー、大ヒットをとばした円広志。
この頃の円広志はヒット曲が続かず、お金もつき、東京から大阪に戻っていたところ、ポニーキャニオンの宣伝担当者に暇つぶしに演歌調の作曲をしてみてくれと頼まれて作ったものとか。
この後、大阪ではバラエティ番組の司会者として活躍するようになりましたよね。
円広志自身も翌年にセルフカバー曲をリリースしています。
寒椿
1984年4月21日発売。
作曲は船村徹です。
森昌子さんはこの頃は日本を代表する演歌歌手だったわけですが、ポスターの着物姿は珍しいですね。
恋は女の命の花よ
1985年2月1日発売。
タイトルがストレートですね。
この頃になるとシングルリリースのペースが落ちてきて、1985年は2曲のみのリリースになっています。
愛傷歌
1985年7月21日発売。
石本美由起作詞、三木たかし作曲の曲が森昌子には数曲ありますが、これはそのうちのひとつですね。
いつまでもありがとうそうして今・・・さようなら
1986年8月21日4曲同時発売。
いつまでも〜愛彩川〜、ありがとう〜雛ものがたり〜、そして、今…悲しみの終着駅…、〜さようなら〜。
この4曲をまとめたポスターになっています。
これは森昌子さんの結婚引退を記念してリリースされたものですね。
この年から20年後の2006年までシングルのリリースはなくなります。
こちらは1986年に発売されたアルバム「おぼえていますか、あの時を」のポスターです。
森昌子コレクションの買取をお待ちしています!
今回ご紹介したのはポスターだけでしたが、同時に森昌子さんのファンクラブ会報やコンサートパンフレット、チラシなども買取させて頂きました。
星瞬堂では森昌子さんをはじめとする昭和アイドルのコレクションを買取しています。